姫路城は ・・・播磨の守護 赤松則村が元弘3年(1333)にここに砦を築き、その子 貞範が正平元年(1346)城を構えた事をに始まり・・・・・という書き出しから パンフレットにはその長い歴史と進化が綴られています。
より大きく、より強く・・・長い時を経て威風堂々の姿に進化してきたのです。 その歴史には数多くの謎も秘めているそうです。 歴史考証や 建造物としての魅力は各専門家にお願いすることにして、 私の目に映った この城の「すんげ~」をご覧いただきましょう。 何より「う~ん!」と唸ったのは その門と扉の多さ。 攻め入る敵を食い止める工夫が何重にも何重にも凝らされています。 そして広いっ!! 鎧甲冑に身を包んだ兵士達が長い槍を振りかざして迎え撃つ・・・。 いざという時に寸時に武器を手に取れるようにこんな「武器ホルダー」が いたるところに。 その数といったら 気が遠くなるほどなんです。 「機能的」・・・というよりも「死守」という言葉が頭に閃きます。 武士が 空間を最大限に利用して戦うことが出来るように 二段構えの床が壁面に造られています。 巧妙!! 奥に小さな扉が見えます。 「万が一の時にはここから飛び出してでも・・・」という悲壮感さえ感じます。 こちらは お城の二階部分にあたるところ。 ここに食糧が蓄えられたり、炊事も出来るようになっていたんだそうです。 「篭城」への備え。 あらゆる状況が想定されてたんだなあ・・・。 もうこうなってくると 敷居の高ささえ何かの備えと考えさせられます。 15~20cmはあったでしょうか。 「狭間」(さま)。 石垣を登ってくる敵兵に 石を落下させたり、熱湯を浴びせたりして応戦する。 そりゃ 火縄銃でここから撃ったりもしたでしょうが。 ・・・で、この石垣を登る・・・・ってか!? うう、恐るべし「兵士」!! こんなに複雑な造りです。 天守閣で 案内の係りの方とちょっとだけおしゃべり。 「立派な井戸がありましたねえ。全員の生活を賄うにはあんな井戸がいっぱいあったんかなあ?」と言ったら 「井戸の数は相当あったそうです。 でも、中には秘密の抜け道や、お堀から着いた荷物を運び出す経路に使われる為に掘られた井戸もあったそうで、謎がいっぱいあるそうなんですわー。」と教えてくださいました。 緑の匂い、夏の終わりの蝉の声・・・静かで穏やかな午後でした。 ここに何千という兵士たちの「雄叫び」が・・・と空想すると 胸が破裂しそう。 穏やかな現実と「歴史スペクタクル」の間を行ったりきたりの 私でございました。 そして、これはまだ 姫路城の一部にすぎません。 次回は是非西の丸やお堀探索をしてみたいと思います。 こんな日の帰り道、クルマの中でぼんが 「ボク、母さんを『案内』できた。」と誇らしげに一言・・・。
by MUSUCARI
| 2006-09-01 21:29
| お散歩
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